震災と在宅酸素マスク4リットルの私(前編)


東日本の震災の時、在宅酸素 マスク4リットルに13メートルのチューブを繋げて居た。


ほぼ寝たきりだったが、トイレやシャワー、身の回り程度の事は出来ていた。


あの日、同居していた姑は海外に行っていて一人でいた。


地震の瞬間、大きな横揺れに驚いてすぐにガラケーのワンセグをつけた。


その揺れ方は尋常ではなかった。
ベット脇の下半身部分は引き出しが開かない壊れたボロのたんす。

胴体部分は普段使わないガラクタ食器が山のように。。。
頭上には、花瓶類が大量に天井まで高く積み上げられていた。


食器棚も古くて、安定性が悪くて普段からガタガタしていた。


『これ、片付けないと地震が来たら私死んじゃいます。』


何度となく姑に頼んでみたが、聞き入れられなかった。


親戚で不要になったベットと交換する時、運んで来たおじさんが

『これ、地震が来たら大変だ!。』

『あら、死んでも良いのよ』

『酷いなー』っと呟きながら

ガタガタ揺れてるボロの食器棚の足元に段ボールと新聞紙を挟めて少し安定させて帰ってくれた。


姑は私の命やケガよりガラクタ食器の方が大切だった。


頭の上辺りの重めの花瓶数個を下の段に自力でそっと内緒で移動させておいた。



そんな折、あの日、あの地震が来た!
案の定二台の食器棚と花瓶棚は頭上でゆさゆさと揺れ始めた。


私はとっさに、ワンセグを見ながら、隣の部屋の落下物がない場所へと

酸素マスクをしたままチューブを引っ張って移動した。


横揺れが物凄かった。
大きな古時計の振り子のように左右に動いた。


ワンセグを見ながら、揺れが止まるとまたベットに移動した。
揺れの角度が違ったら、全て落下してきただろう。

何とか難を逃れた。


その日はワンセグから目が離せなかった。
東京都も有名な九段会館が、崩れた!とニュースが流れた。

各地の震度や停電のテロップが流れてる。

神奈川県の在宅酸素機械が停電のためストップして
一人死亡者が出たという。



他人事ではなくなって来た。


計画停電のNEWSが始まった。
頭が真っ白になっていった。


今、しなければいけないことは何か?


酸素の確保だ!

酸素屋さんに電話すると
電話口でも混乱していた。


被災地に東京にある酸素ボンベの多数を送ってしまったという。


そして、一本づつ配給するという回答だった。


私はマスク4リットル
パニックになったら呼吸困難が起きる。


口呼吸の私はボンベに切り替えた時、同調で動く鼻カニューラは苦しくなるのが目に見えていた。


在宅酸素の機械が止まると
それでもボンベに切り替えなければならない。


酸素ボンベは予備が2本。
カートに入っている通院用ボンベが一本だった。


4リットルの流量でボンベを一本足して貰っても
何ら対策にならない。


焦り出して、主治医のいる病院に電話したら


『酸素がなくなったら救急車で来てください』と言われた。


必ず救急車で来てください!
と念をおされた。



ろうそくを探した。
しかし、酸素を使ってるので
ろうそくは使えない事に気が付いた。


電気ポットで湯をわかし、空のペットボトルに入れ、暖を取る事に気がついてペットボトルを準備した。

ラジオと懐中電灯を探した。


翌日だったか??
計画停電が始まる朝、開店ジャストにすぐ近くのスーパーにいった。


酸素ボンベの同調器の乾電池を確保しなければならなかった。



開店ジャストなのに遥か彼方先まで行列が出来ていた。


私の身体ではこの列に並ぶ事は困難だ!


取り敢えず、スーパーの警備員らしき人に

(スーパーの中には電気屋が入っていたから。。)


『命に関わるので、酸素ボンベの
単3電池だけ買いに電気店まで入れて下さい。』と頼んでみたら


『電池なんか日本中捜してもないよ!』と怒鳴られた。


すごすご引き下がったが
隣のドラッグストアーにあるかも?と気が付いた。


小さな薬局も店内はぐるっとレジ待ちの客が並んで店の入り口まで混雑してたが

覗いてみたら乾電池の棚は空になっていたが
単3だけ、今、補充したらしき感じで残ってた。


何とか並んで買おう!。
精一杯の勇気を振り絞って
乾電池とカイロを買うために並んだ。


カイロも無くなっていて一番小さなサイズ、数個だけ手に入った。



つづく ※今後、定期的に当サイトでも公開予定!

東京防災

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震災と在宅酸素マスク4リットルの私(後編)

つづき


翌日、在宅酸素業者の担当さんが
『ふぅふぅ〜』っと肩で息をしながらボンベ一本を届けてくれた。


酸素業者のシステムもいろいろあって
この業者さんは、一人がずっと担当さんとして


機械の導入前から、点検、ボンベの配達まで親身になって世話をしてくれていた。


だから自ずと人柄も解るし、フレンドリーに付き合えていた。


13 メートルのチューブを引きずって玄関先に対応に出た私は


疲労こんばいしてる様子の担当さんを労い、励ました。


一本しか配給されない不安や不満を担当さんにぶちまける事は出来なかった。


しかし、計画停電は都内中にどんどんと拡大して実施されていった。


東電のカスタマーセンターに事前に
ここに在宅酸素患者がいることの届け出をしてあった。


私が住んでいた地区は、計画停電の実施が最終段階まで実行されずにいた。


噂によると、近所に金融関連のATMの重要な要のセンターがあって、
それをストップするわけにはいかないのだそうだ。


しかし、留守番電話のランプが点灯されていたので再生すると


東電からの伝言が入っていた。

内容に耳を傾けた!


『遂に○○さんのお宅も電気を停めなければならない事態になりました。!!』


こんな緊急事態の大急がしの中でも
きちんと連絡をくれた事が有り難かった。


電気が停まって、酸素が底をつきそうになったら、救急車で病院に受け入れてもらおう!!


静かに一人で決意した。


長い緊迫した時が流れた。


だが、最後の最後まで、この地域は停電は起きなかった。


あの日、連日混乱した東京。


私は、一人でマスク4リットルで13メートルチューブを引っ張り、何とかトボトボ家の中を歩行していた。


今は、酸素の他にもマスク式人工呼吸器を使用している。
当時の家を出て


病院の近所に転居して、いつでも入院出来るよう待機している。


災害が起きたら、やはり救急車で病院に避難することに、
区役所の「人工呼吸器患者災害対策支援計画」として行政と病院側での災害時の受け入れ取り決めがされている
。80万人都市の80人程、在宅人工呼吸器使用患者がいると聴いた。


あの日、あの日々。。。電気が無くなる時を思うと、異常に心細かった。
貴重な体験をした…。と今も思っている。


その後、電力会社からは、採算、非常用発電機を購入するように手紙が来た。
でも、ムリだなぁー。高額だし。。。
救急車呼んで、病院に避難せよ!っと決まっていても、エレベーター止まったら
どうしたら良いんだろう。。。


救急隊を待つのかな?その前に、この古いビルは倒壊するのかな?
ベランダから旗を振る力も残っていない。。





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